日本の公衆栄養学の教育・研究状況を近隣アジア諸国・地域と比べてわかった4つのこと

栄養学教育

本記事は、栄養疫学分野の一研究者が興味を持ったテーマについて、学術論文をベースに自身の見解も交えて分かりやすく紹介することを目的としています。正確な情報発信を心がけていますが、栄養疫学はとても奥が深く、ひとりの研究者では全容を理解することが難しい側面があります。執筆者の知識不足や誤解から生じる誤りもあるかもしれません。したがって、本記事の内容だけをもとにして結論を急ぐことはお勧めしません。

公衆栄養学は、管理栄養士にはなじみがある一方で、他の多くの方には耳慣れない学問かもしれません。簡単にいうと公衆栄養学とは栄養面からのアプローチにより集団の健康状態の改善と疾病予防を目指す学問です。このブログを運営している著者らは栄養疫学を専門としていますが、日本では栄養疫学は主に公衆栄養学の一分野として教えられています。

公衆栄養学では栄養政策の立案・評価を扱うので、長期にわたって多くの人々の健康にかかわる重要な学問といえます。では、日本では公衆栄養学の教育や研究は一体どこで行われているのでしょうか?また、公衆栄養学の教育の量や質は、栄養疫学や公衆栄養学の専門家を育てる上で十分なのでしょうか?

この記事では、日本の公衆栄養学の教育と研究の現状について、韓国・台湾・中国本土(以下、中国とします)と比べてわかった4つのことをまとめました。これらの国・地域と比較したのは、日本と地理的・歴史的に関係が深く文化的類似点も多い一方で、教育制度が異なるためです。わたしなりの結論は「日本では公衆栄養学を教える学科は多い一方で論文生産数は少なく、現在の大学教育は公衆栄養学研究を推進する上で十分とはいえないかもしれない」です。

1.日本は公衆栄養学を教える大学・学科の数が最も多い

日本には公衆栄養学を教えている大学がどのくらいあるのでしょうか?インターネットを用いて日本、韓国、台湾、中国の各大学で、公衆栄養学を必修科目とする学科をもつ大学の数を調べました(ただし中国では、学校情報がインターネット上に広く公開されていないため、一部の大学しか調べられていません)。結果として、下図のように、日本は韓国・台湾・中国に比べて、公衆栄養学を必修科目とする学科がある大学の数が非常に多いことがわかりました(文献1)。また、日本・韓国・台湾では主に私立大学で公衆栄養学教育が行われていました。

また、公衆栄養学を必修とする学科の数は日本137、韓国7、台湾18、中国32であり、日本が最も多いことがわかりました。

2.公衆栄養学を家政学の枠組のなかで教えているのは日本だけである

日本では公衆栄養学をどのような学問領域で教えているのでしょうか?公衆栄養学を必修とする学科を各国・地域ごとの学問分類にしたがって分類しました(文献1)。その結果、日本では公衆栄養学を必修とする学科の多く(66%)が家政学に分類された一方で、韓国では自然系列57%、台湾では保健・福祉学83%、中国では医学72%が上位を占めていました

つまり、公衆栄養学をおもに家政系の学科で教えているのは、比較したなかで日本だけということです。また、日本で公衆栄養学を必修とする学科はすべて栄養士または管理栄養士養成課程でした。先ほどの大学・学科数の結果と合わせると、日本の公衆栄養学教育は主に私立大学の家政学系学科(全て栄養士・管理栄養士養成課程)で行われているといえます。

3.日本・韓国・台湾では公衆栄養学の教育の場と研究の場が一致していない

公衆栄養学の研究状況を知るために、公衆栄養学分野の主要学術誌である『Public Health Nutrition』に2007~16年に発表された論文を調べました。各論文を、筆頭著者(論文の著者名の最初に名前が載っている人)の所属機関別に分類しました。その結果、中国では、公衆栄養学を必修とする学科がある大学・大学院のほうが、公衆栄養学を必修とする学科をもたない大学・大学院に比べて、論文数が多いことがわかりました。一方日本と韓国と台湾では、公衆栄養学を必修とする学科がある大学・大学院のほうが、公衆栄養学を必修とする学科をもたない大学・大学院に比べて、論文数が少ないことがわかりました(文献1)。よって、日本・韓国・台湾では、公衆栄養学教育を行っている大学・大学院ではそうでない大学・大学院に比べて研究が活発でないといえます。また、このことは公衆栄養学を教育する場と研究する場にずれがあることを示しています。

文献1をもとに作成

4.日本では公衆栄養学を必修とする学科1学科あたりの論文生産数が少ない

日本では公衆栄養学を教える大学や学科の数が最も多いことがわかりましたが、公衆栄養学の研究もそれに見合うほど活発に行われているのでしょうか?そのことを知るために、公衆栄養学を必修とする学科1学科あたりの論文数を各国・地域で比べてみました。

結果として、公衆栄養学を必修とする学科1学科あたりの論文数は日本では0.3本と最も少なく、韓国では3.7本、台湾では1.2本、中国では2.7本でした(文献1)。つまり、日本では公衆栄養学を必修とする学科は多い一方で、公衆栄養学分野の論文数は少ないといえます(先ほどと同様に、中国では調べた学科の数が一部に限られるので単純に比較はできません)。

公衆栄養学1学科あたりの論文数=2007~16年にPublic Health Nutritionに掲載された、各国・地域内の機関に所属する研究者が筆頭著者として執筆した論文の総数/各国・地域の公衆栄養学必修学科の数

5.日本の公衆栄養学教育の問題点

以上の結果より、公衆栄養学の教育・研究状況を韓国・台湾・中国と比較したところ、日本では公衆栄養学を教える大学や学科が多い一方で、公衆栄養学の論文生産数が少ないことがわかりました。なぜ日本では公衆栄養学の教育がさかんに行われているにもかかわらず、研究は活発でないのでしょうか。そこで、日本の公衆栄養学教育で指摘されている問題点の一部をご紹介します。

(1)公衆栄養学の学問的位置づけ

栄養学教育の歴史を振り返ってみると、今回比較したどの国・地域でも、高等教育の中に家政学が組み入れられた時点では、家政学の教育内容の一部として栄養学を教えていました(文献3-7)。しかし、韓国・台湾・中国では、教育体制の変化や学問の専門分化の過程で、家政学の名称が変更されたり、家政学から栄養学が独立したりしました(文献6-8)。今回調べたなかでは韓国・台湾・中国に家政学という学問分類そのものがありませんでしたが、日本では今日まで変わらず栄養学が家政学のなかで教えられています。

調理器具

しかし、家政学は主に食品と料理に焦点を当てている一方、人間の健康には焦点を当てていないため、家政学分野で公衆栄養学のような人を対象とした健康栄養学研究が発展することは困難であると指摘されています(文献9)。また、栄養学の分野がさらに専門化するためにも家政学とは切り離すことが必要であり、公衆栄養学は公衆衛生学という大きなくくりの中にいれられるべきだと提言されています(文献10)。

(2)公衆栄養学の教育内容

日本の公衆栄養学教育は栄養士・管理栄養士養成課程で行われています。しかし、管理栄養士養成課程では公衆栄養学の学習時間のほとんどが関連法規などの行政学に費やされ、実践的に使える診断、計画策定、実施、評価のための時間が少ないことが、栄養士養成と地域保健向上の両面で弱点となっていることが指摘されています(文献11,12)。結果として、学生にとって公衆栄養学はあまり魅力的でない学問になってしまっているのかもしれません(文献1)。

(3)教育者の養成

栄養政策を教えるのに十分なスキルを持った教員がいないことも指摘されており、教員のスキルアップも大きな課題です(文献11)。管理栄養士養成課程の教員要件は「栄養教育論、臨床栄養学、公衆栄養学及び給食経営管理論を担当する専任の教員のうち、それぞれ1人は、管理栄養士または管理栄養士と同等の知識及び経験を有する者であること」と栄養士法施行規則で定められており、公衆栄養学の教員は原則管理栄養士です(文献13)。つまり、大学で公衆栄養学の研究教育を十分に受けられなかった管理栄養士が教員となって公衆栄養学の授業を担当する可能性が高いと考えられます。

大学の授業の様子

ここからは私見です。管理栄養士養成課程では既に必修単位が膨大であることや、公衆栄養学以外の領域の専門家を志す学生にもいることを考慮すると、管理栄養士養成課程において公衆栄養学のみの単位数や学習内容を充実させるようなカリキュラムの変更は非現実的かもしれません。今後の公衆栄養学教育のレベルアップのためには、たとえば以下のようなことも必要かもしれません。

  • 公衆栄養学を資格教育に限定せず、他の分野でも広く学習できる機会を提供する
  • 修士・博士レベルでの公衆栄養学教育を活性化する(たとえば、公衆栄養学を必修とする学科あたりの論文数がもっとも多かった韓国では、アメリカの保健大学院をモデルとした保健大学院が設立されており、その教育領域には保健栄養学が含まれています(文献14,15))
  • 集中講義やe-ラーニング、海外における公衆栄養学教育プログラム等を利用した公衆栄養学教育などの柔軟な教育形態を利用して(文献16-18)、学生だけでなく公衆栄養学の実務者や教育者に対する再教育を行う
  • 管理栄養士でなくとも公衆栄養学に関する十分な研究・教育能力がある者を公衆栄養学分野の教員として積極的に採用する
講義風景

まとめ

日本の公衆栄養学の教育と研究の現状について、韓国・台湾・中国と比べてわかった4つのことは以下の通りです。

  1. 日本では公衆栄養学を教える大学・学科の数が最も多い
  2. 公衆栄養学を家政学の枠組のなかで教えているのは日本だけである
  3. 日本では公衆栄養学の教育の場と研究の場が一致していない
  4. 日本では公衆栄養学を必修とする学科1学科あたりの論文生産数が少ない

これらのことを考えると、日本の大学における現在の公衆栄養学教育は、公衆栄養学研究を推進する上で十分とはいえないかもしれません。この記事が、公衆栄養学教育・管理栄養士教育について考えるきっかけになれば幸いです。

今回もとにした論文(文献1)は、わたしが博士課程1年のときに「やずや 食と健康研究所」の研究助成を受けて行ったものです。インターネット上でだれでも全文読むことができます。この記事に書ききれなかったこともたくさんありますので、ぜひgoogle翻訳などを使って読んでみていただけるとうれしいです。

以上、『日本の公衆栄養学の教育・研究状況を韓国・台湾・中国本土と比べてわかった4つのこと』というテーマでお届けしました。最後まで読んでくださりどうもありがとうございました。

参考文献(一部PubMed等へのリンクあり)

1. Shinozaki, N., Wang, HC., Yuan, X. et al. Current status of education and research on public health nutrition in Japan: comparison with South Korea, Taiwan, and mainland China. BMC Nutr. 2019;5:10.

2. Ministry of Education of the People’s Republic of China. List of “211 Project” schools. Available from: http://old.moe.gov.cn/publicfiles/business/htmlfiles/moe/moe_94/201002/82762.html. Accessed June 2021. (in Chinese).

3. 鈴木道子. 栄養士・管理栄養士養成機関の多様性とその変遷. 東北大学大学院教育学研究科研究年報. 2009:58:33–56.

4. Moon SJ. Historical study of home economics in Korea. J Home Econ Jpn. 1998;49:311–4.

5. Kim Y. Goals for the education and research in the community nutrition. Korean. J Community Nutr. 1996;1:123–134. (in Korean).

6. Chih CC. The perspectives of family related fields under the higher education changes in Taiwan. Available from: http://www.hdfs.ntnu.edu.tw/files/recruit/140_a4b47b63.pdf (accessed September 2017) (in Chinese).

7. Du S, Li J. Historical review of nutrition education in China. Nutrition Report. 2008;28:106–7 (in Chinese).

8. Song HR. Development strategy of life sciences; sustainable life sciences, challenges and vision. Paper presented at the 60th summer conference of the Korean home economics association, Seoul, Korea. 2007:23–36. (in Korean).

9. 勝野美江, 佐々木敏. 日米欧における健康栄養研究の位置付けの歴史的変遷に関する調査研究~大学に着目して. 文部科学省 科学技術政策研究所 第3調査研究グループ. 2011. Discusssion paper No.73.

10.  Khandelwal S, Kurpad A. Nurturing public health nutrition education in India. Eur J Clin Nutr. 2014;68:539–40.

11.  村山伸子. 社会における「公衆栄養学」の役割と大学における教育 アメリカの動向と日本の課題. 新潟医療福祉学会誌 2001;1:72–82.

12. 豊川裕之. 公衆栄養の実践と「学」の連携・発展. 公衆衛生研究 . 1996;45.19–25.

13. 鈴木道子. 管理栄養士・ 栄養士養成施設の教育課程編成基準及び教員要件の変遷とその背景. 東北大学大学院教育学研究科研究年報. 2010;58,25–49.

14. Lee JC. Empowering and institutionalizing public health in Korea –how can the public health professionals survive? Korean J Public Health. 1997;23:144– 59 (in Korean).

15. Moon OR. The ways to revitalization of schools of public health in Korea. Korean Journal of Public Health. 2001;38:1–14 (in Korean)

16.  Lawrence MA, Galal O, Margetts BM, et al. Building global alliances for public health nutrition training. Nutr. Rev. 2009;67:S66–S68.

17.  Dodds JM, Laraia BA & Carbone ET. Development of a master’s in public health nutrition degree program using distance education. J. Am. Diet. Assoc. 2003;103:602–607.

18.  Hilliard TM & Boulton ML. Public health workforce research in review: a 25-year retrospective. Am. J. Prev. Med. 2012;42:S17–S28.

この記事を書いた人
篠崎 奈々

日本食品衛生学会 リサーチ・レジデント。東京大学大学院 医学系研究科 公共健康医学専攻 社会予防疫学分野 客員研究員。博士(保健学)。管理栄養士。栄養疫学研究の修行中です。特に好きな食べものは豆、パン、さつまいも。趣味は登山、キャンプ、カポエイラ。

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コメント

  1. 森山泰裕 より:

    本記事、ありがとうございます。興味深く読ませて頂いております。

    1点質問なのですが、公衆栄養学の研究状況を比較する上で、貴研究では、公衆栄養学分野の主要学術誌である『Public Health Nutrition』に2007~16年に発表された論文を調査されています。
    インパクトファクターの観点で言えば、Public Health Nutritionより高いジャーナルがあるかと思うのですが(例:American Journal of Clinical Nutrition, Journal of Nutrition)、なぜPublic Health Nutritionを調査対象として選んだのでしょうか。インパクトファクターの高い雑誌には、発表論文数に違いが小さく(=そもそもどの国もほとんど論文を発表できていない)、比較に適さなかったからでしょうか。

    私の栄養学領域での知識が浅い中での質問で大変恐縮ですが、ご教示頂けますと幸いです。

    • 篠崎 奈々 篠崎 奈々 より:

      ご質問ありがとうございます。

      公衆栄養学の研究状況を調べるにあたり、「公衆栄養学分野の論文をどのように特定するか」はとても難しい問題でした。
      公衆栄養学分野の論文の明確な定義が存在しないことや、公衆栄養学に関する論文が掲載されうる雑誌が数多く存在することを考えると、たとえば公衆栄養学の論文の何らかの基準を作って全雑誌を調べる、というような調査は難しいと考えました。
      そのため本研究では、公衆栄養学分野の研究状況の指標として、公衆栄養学分野の代表的な学術誌であるPublic Health Nutritionにのった論文のみを調査しました。

      よって、インパクトファクターによって雑誌を選んだわけではないのですが、 American Journal of Clinical Nutrition などの他の学術誌にも公衆栄養学分野の論文は掲載されていますので、Public Health Nutritionしか調査していないことは本研究の限界といえます(論文P7 limitation をご参照いただけますと幸いです)。

      ご興味をもって読んでいただけて大変うれしく思います。
      これからもどうぞよろしくお願いします。

      篠崎

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